REAL episode2 〜Father to Son〜

 自作小説「REAL」の、落選とデータ全損を記念して。


主要人物設定




世界設定



序章

 龍歴981年、金龍国ヘイミュール市。王都バハムートに接し、各国の大使館が建ち並ぶ小都市である。
 最近、この地区で原因不明の失そう事件が多発していた。いわゆる「神隠し」というやつである。
 もっとも、数日もするといなくなった者たちは必ず戻ってくる、全身の血液を抜き取られた無残な姿で。更に、公式な発表はないものの、それらの死体の首筋には そろって二つの穴が空いていたという目撃証言もあった。
 場所が場所であるため、事態を重く見た金龍国国王アックスは数百人の兵士を動員し、厳戒態勢を強いて事態の拡大を防ごうとした。
 しかしそれがかえって相手を刺激したのか、先日、再び事件は起こった。しかも、今までにないほどの規模で。年齢・国籍、性別を問わず、一晩に千人以上が 姿を消す。その中には、各国王族血縁者を含む数十人の外交官の名もあった。


第壱部

     1
 闇の中を「白」が駆け抜ける。いや、正確には白い髪と肌を持つ人型の生き物が、と言うべきか。だれかがその姿を見たとしたら、その十人に九人は「美しい」と 思うだろう、そして次の瞬間には「おぞましい」と。白はこの世に無い色だ、有ってはならない。

 暗殺は失敗だった。

「それ」が逃げてきた後方で三つ目の爆音がとどろき、炎が闇を焦がす。
「大変だ!八番が脱走した!」
「追え、逃がすな!No.23から28までの『ソルジャー』を出せ!何としても外へ出る前に捕らえるんだ、絶対に殺せ!」
 混乱のるつぼにありながらも男たちが見せる統制の取れた動きは、正式な訓練を受けたもののそれだ。そして、その中から五つの影が次々に飛び出していく、 ただ、殺すためだけに。
 ショウは無我夢中で駆けていた。森の中、木の枝がまだヒトのそれである皮膚を切り裂き、イバラが足を赤く染める。しかし、痛みはなかった。
 と、研ぎ澄まされた五感が、肉体に横への跳躍を命じる。
 間一髪、ショウはそれを避けた。ごう火が大地をなめ、一帯を火の海と化す。
『ファイアーブレス、追い付かれたか。気配からすると追っ手は・・・一つ、二つ・・・五つ!?傷の回復もままならない死に損ないに虎の子のソルジャーを五体も差し 向けるなんて、あいつめ、相当焦ってるみたいだな。』
  ショウは我知らず笑っていた。恐怖は、ない。
「『生きて、生きようとして。』、そうだったね、母さん。」
 結界を破るためにたった一度火龍の力を発現して以来、いまだ右腕の感覚は戻らない。完全に龍の血を使いこなすソルジャー相手に、まともに戦って勝てる 道理はない。しかし、それでも 彼には死ねない、生き延びなければならない理由があった。
 奇襲で戦力をそぎ、即座に離脱する。可能ならばそのまま施設の外まで走り、それができなければ再度の奇襲のために身を潜める。
 やることは決まった、後は、実行するだけ。
 しかし、突如として、追っ手の気配が消えた。だが、ソルジャーに自らの気配を隠すような能力も、又その必要もありはしない。
『・・・助かったの?』
 ショウは再び走り出す。しばらく様子を見るのが賢明な選択だということは分かる。しかし、そのために千載一遇の好機を逃すことは避けたかった。
 どこをどう走っているのか、ただ一つ分かるのは、自分の体をこんなにし、母を殺した男から遠ざかっているということだけ。
 突然、ショウは逆らいがたい脱力感に襲われ足を止めた。何者かが、自分に干渉してきている。
 眼前の空間がゆがみ、次第に何かが実をなしていく。ただ、ぼう然と見守るしかなかった。
 全身を黒い法衣で包み、顔に仮面を付けた姿。ショウはそれを知っていた、それは圧倒的な力、「死」そのもの。
『守護者!さっきのやつか。空間転移までできるとなると逃げ切るのは・・・
 でも、こんなところでやられる訳にはいかない。あの男を殺すまでは、死ぬ訳にはいかないんだ!
 一撃で決める、たとえ腕一本引き替えにしてでも!』
「・・・集え 我に宿りし光の子らよ
       血に盟約に従い 秘められし力を解放せん・・・」
『光が集まらない!?まさか、抑え込まれてるっていうのか?』
 法衣のすき間から、やはりぴったりと黒い革手袋で覆われた手が差し出される。まるで、魅入られたかのように、ただその描く軌跡を見つめるショウ。
『催眠風!
 ・・・まさか、詠唱もな・しに・・・』


     2
 金龍城。王都バハムートの中心にそびえる、アックス王の居城である。
「逃亡した個体の情報を。」
「はい。
 個体名 ショウ=R=イスカリアット 性別 男 年齢 13と5/12歳
 識別番号 008  血 八種  備考 念波受け付けず
 以上です。」
「『0ナンバー』、ソルジャーの試験体だと?なぜそんなものが今まで・・・
 アシュレイを呼べ、守護者どもを追跡に出させるのだ!」
「王よ、お言葉ですが・・・
 八番は既に体色素を喪失し、肉体も崩壊の兆候を見せ始めていました。追っ手に出した五体が消息を絶ったとはいえ、わざわざ王子様のお手を煩わせるほどの ことはありませんかと・・・。」
「く、分かった。引き続きソルジャーを向かわせろ、ロードも一体出せ。
 それと、連絡を絶った五体、おそらくもう破壊されているだろうが、確認と回収を急げ。」
『よりによって、あの女の息子が・・・』


     3
 六年前。金龍国イスカリアット領、領主ジューダスの館。
 その日、物腰にふてぶてしさの目立つ使者によって伝えられたのは驚くべき命令だった。
「何ですと!王は私に民から子供を取り上げよと申されるのか!なぜです!
「理由など貴公の知ったことではあるまい?それに、勘違いめされるな。私はここへ『要請』に来たのではない。
 既に多領の大主たちは了承済みだ。それとも何か、貴殿は・・・」
「・・・分かりました。」
 ジューダスの唇に、赤いものがにじむ。そして、それをさもおもしろそうに眺める男。
「結構。
 では五日以内に10歳以下の男女10人、くれぐれも間違いなきよう・・・」

 使者が帰ると、すぐさま隣の部屋で全てを聞いていたクリスタベルが入ってくる。
「あなた、それでそのままお引き受けになったのですか!」
「仕方がなかったのだ・・・。」
「お苦しみはよく分かります。ですが、納得はできません。」
「済まない、クリス。」
国家反逆のとがは、家族は優に及ばず一族全員にも及ぶ。しかも、金龍国自体が「忠」を重んじる国柄。それが間違いであると気付いてなお、ジューダスは 王命に逆らうことができなかった。

 三日後、領主館前には我が子との別れを悲しむ多くの人間が集まっていた。
 護送用の大型馬車に乗せられた10人の子供たち。ある者は泣き叫び、又ある者は必死に涙をこらえる。
 その中には、ジューダスの息子ショウの姿もあった。それは、周囲の猛反対を押し切り、ジューダスがつけた彼なりのけじめ。反対を入れてもらえず、いたたまれ ないと部屋に引きこもってしまったクリスタベル。
 姉のサーラは面倒見のいい性格で弟のことを大変かわいがっていただけに、そのことを知らされたときの衝撃も大きく、以来一言も父と口をきいていなかった。
 尊敬する父の息子として必死に涙をこらえていたショウだったが、人だかりの中に大好きな姉の姿を見つけるともうそれも限界だった。きずなをたぐり寄せるかの ように格子の間から伸ばされる幼い手。だれもが胸を突かれ、顔を背ける。
 それでもただ一人、ジューダスだけは領主としての務めを全うしていた。
 別れの刻、兵士の入れるムチの音が無情に響き渡る。


     4
 そこは、天然の地下空洞を利用して作られた一種の牢屋だった。
「・・・ウ、ショウ!」
 声に気付き、目をこすりこすり辺りを見回すショウ。真っ赤に泣きはらしたその目の見た先にあったのは、正しく懐かしい母の姿。
「母さん!」
二の句も告げずにその旨に飛び込む。鉄格子越しでも鎖帷子越しであっても、やはり母の胸は柔らかく、そして温かかった。別れてまだ一週間しかたっていなかった はずなのに、まるで何年も感じていなかったようなそのぬくもり。
「静かに、今カギを開けるわ。
 ・・・!」
 突然、クリスタベルは背後に殺気を感じて振り返る。もちろんそこは元シャドウの彼女、何の攻撃もなされていないことを確認した上での行動のはずだった。

*シャドウ:彼女の故郷、影龍国である種の武術を受け継ぐ職業集団で、簡単に言えば忍者のようなもの。ただし、暗殺者というと少々大げさでしょう。

 しかし・・・
 振り返ったクリスタベルの足首を、何かが切り裂く。
『マズい、けんをやられた。
 でも、一体何が・・・まさか、風!?』
「そんな、金龍国人のあなたが、どうして風龍の力を!」
姿を現したのは紛れもなく金龍国国王アックス=バハムートその人。
 確かに、生来王族は体内に精を持ち、龍精術以上の力を自ら発現しうる。しかし、混血を招く唯一の可能性、二国間の王族同士による婚姻が禁じられている 以上、本来ならば二種類の血を持つ者などいようはずはないのだ。
「ようこそ、我が城へ、レディー・クリスタベル。」
「残念ね、もう私は『レディー』じゃないわ。今の私は彼の妻でもなければ金龍国人でもない、ただの母親よ。」
 クリスタベルはショウ救出を決意した時点でジューダスと離縁していた。決して彼を、その行為を恨んでのことではない。むしろ彼女にはその苦悩がよく分かった。 だからこそ、彼に被害を及ぼさないがために彼女は自ら愛を捨てた。
「全てをなげうって息子を助ける、か。いい話じゃないか。」
まるきりバカにした調子ながらも、決してすきは見せないアックス。龍の血を持つ王族は文字通り絶対者、戦って勝てる相手ではない。
『先の吸血鬼騒動・・・風・・・子供狩り・・・』
「ま、まさか!?王よ、そのために子供狩りを?」
「さあ、何のことやら。
 しかし、大したものだな、あの厳重な警備を抜けてここまで来るとは。私の部下にも見習わせたいくらいだよ。さすがは、元シャドウといったところかな。」
「王よ、お答えください!禁忌を破ってまで、なぜ力を求めるのです!」
「・・・頭の回転も悪くない。気に入ったよ。
 どうだ、クリス、私の妻にならぬか?不自由はさせんぞ。」
「・・・・・・。」
「あの男とは縁を切ったのであろう。だれに遠慮する必要がある?」
「一つ、条件があります。」
「おおよそ見当はつくが・・・何だ?」
「この子を助けてくださるというのでしたら、お言葉に従います。」
『ジューダス、ごめんなさい。だけど、この子だけは・・・』
「代わりを用意できるか?」
「は?」
「その子を解放する代わりに、どこからか同年代の子供を一人連れてこられるか、そう聞いたんだよ。」
「・・・それで、この子を助けられるのであれば。」
「『母は強し』か。
 聞けぬな。」
「王よ!」
「その子を解放すれば、彼は必ず私に牙をむく。母を思うこの気持ちは私も知っている。」
「そのようなことは決して!たとえこの子がそう思おうとも、私がそんなことはさせません!」
「・・・交渉は決裂だな。
 ここから先は、実力行使といこう。」
「ク!」
クリスは身を翻すと、アックスに向けて細かな針を吹き付ける。
 だが、放たれた針は虚空にとらわれ、むなしく砕け散る。
 アックスの顔に優越の笑みが浮かぶ。
 そして一陣の風が吹き込み、次の瞬間、強烈な力がクリスタベルの四肢を縛り付けていた。
「逆らっても無駄だ。まだ実験段階だとはいえ、人ごときの力で私の支配を受けた風を外せるものか。」
 アックスの指がクリスタベルの胸元へ伸びる。風をまとった指先は、ほとんど抵抗も感じさせずに帷子を引き裂いていく。
「やめろー!母さんをいじめるなー!」
 ショウの放ったつぶてが、アックスの額に命中する。わずかに血をにじませるにとどまった一撃でも、男の残虐性を引き出すには十分だった。
「子供が、大人のすることに口を出すものではない。」
アックスの払った左手から烈風が生み出され、ショウを壁へとたたきつける。
「殺しはせん、そこでおとなしく見ていろ。」
『ショウ!
 でも、お陰で風が緩んだ!幾ら王とはいえ、人の身にある。これなら!』
「猟霊刻(イーヴルクウェスター)!」
闇が生まれた。闇は扉となり、死霊の群れを導く、が・・・
 闇はアックスの周りでくぐもったまま、それ以上進めずにいた。まるで、野生動物が本能的に強者を察知するかのように。
 アックスの手が、クリスタベルの額に静かに触れる。
「気が強いのもいいが、逆らわれるのはあまり好みではないのでな。
 影よ。」
視界が「黒」一色に塗りつぶされ、続いて全ての感覚が夢を見ているかのように虚ろとなる。次の瞬間、ようやくクリスタベルは自らの死とアックスが何をしたのかを 悟る。
『そんな・・・風だけでなく、既に影までも?アックス、あなたはどこへ向かおうとしているのです?
 ショウ、助けてあげられなくって、ゴメンね・・・』
 もうそこに母はいなかった。あるのは、ただ、母の形をしているだけのモノ。自我を失い、愛してもいない男に身を委ねる人形。
 だが、それでもそれは母の形をしていた。ショウは、自分の中で心が壊れていく音を聞いた。


     5
 ほほを伝うものの感触が、意識を現世へと引き戻す。
「気が付いた?」
のぞき込む少女。
「お姉ちゃーん、ラーナお姉ちゃーん。」
『又、あの夢を見ていたのか・・・
 あのとき僕はあそこを逃げ出して・・・そうだ、守護者に見付かって!』
あわてて身を起こし、辺りを見回す。だが、どうやら自分は連れ戻されてしまった訳ではないらしい。第一、それならば今頃生きてはいまい。
 ショウは寝台に寝かされていた。傷の手当てもしてある。
 日の昇り具合からして、今は昼を少し回った頃だろうか。塩の香りが鼻を突く。
「良かった、もう大丈夫みたいね。」
湯気の立つスープを載せた盆を手に、二十歳くらいの女性が入ってくる。
『この風!
 ・・・落ち着け、そんなはずがない、こんなきれいな女性が。』
肩でカールさせた豊かな黒髪、琥珀色の瞳、包容力を感じさせる肢体、それはいずれも「死」と正反対の印象を与えるものだった。手作りなのだろう、豪華では ないが清潔感がある服装は、彼女の持つ包容力を一層引き立てている。ヘアバンドで髪をまとめている以外は、特に装飾品を身に着けている様子もない。 それが、なおのこと目に優しい。その瞬間、ショウは母のことを忘れていた自分に気付いた。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「いえ、何でもありません。
 それより、ここは?僕はどうして?」
「ここはね、『レリクス島』よ。あなたが浜に倒れてるのを見つけて、わ・た・し・が、介抱したの。」
 少女の年齢は14、5歳といったところか、意志の強さを示す大きな瞳が特徴的な少女だ。少々クセのある栗髪を右耳の上でまとめている。身を覆っているのは、 極めて簡素だが、それでいて実用一点張りにはなっていないワンピース。その物腰には、少々背伸びが感じられる。
「さあ、もういいでしょ。この人は疲れてらっしゃるのよ。
 分かったら、あなたも向こうを手伝ってきて。」
「ハ〜イ。
 でもお姉ちゃん、抜け駆けはなしだからね。」
「ませたこと言ってるんじゃないの。」
少女が帰り際、ラーナに向かって舌を出した。邪気の類は感じられない。
 感情を素直に表す、それがショウには新鮮な感動だった。確かに、あそこにも感情と呼ばれるものはあった、だがそれは悪意、大人と同じ醜さでしかなかった。
 と、ショウは開いた入り口から向けられる、数個の視線に気付いた。そして同時に、それにすらすぐには気付かないほど警戒を解いている自分に。ショウの視線に 気付き、それらはバタバタと離れていく。
「ごめんなさいね、別に、あなたのことをおもしろがってる訳じゃないの。あの子たち、大人の男の人を見るのって初めてだから・・・
 あなたも聞いたことはあるでしょう?この島のこと。」

*レリクス島。異界、異次元という意味の名を持つこの島は、周囲を取り巻くようにして存在する八つの大渦と特殊な気流とに よって外界から遮断され、時を刻んできた。しかし、一般にこの島が知られているのは、ここが「忌み子捨て」の場所であるという事実である。
 忌み子、それは偶然力を持って生まれた者たち。持つべくして龍精血を持った者たちと違い、彼らはその力を制御するすべを知らない。いつ発現するかは分から ず、それまでは本人にも全く自覚がない。しかし、一度血に目覚めれば、その力は自身の意志に関係なく暴走し、周囲を巻き込んで大きな被害をもたらす。血の 負担から生まれ出でるときに母体を死に至らしめてしまう彼ら、その存在は古来より不幸・災厄の象徴として忌み嫌われてきた。
 どれほど化学や医療が進歩しようとその事実は変わらず、今もこの大陸では母殺しの赤子を小舟に乗せて海に流すという風習が受け継がれている。そして、その 流れ着く先こそが、レリクスであるとされていた。

「では、彼らも?」
「ええ。さっきの子、アンナっていうんだけど、彼女がここでは最年長なのよ。力に目覚めようと目覚めまいと、あの子たちは20年以上生きることはない。」
「・・・・・・。」
「ごめんなさい。
 さあ、湿っぽい話はこれくらいにして。ハイ。」
「頂きます。」
 スープの一さじ一さじが、体にぬくもりを染みわたらせていく。
「ごちそうさまでした。あの・・・僕は、ショウです。」
「私は、ラーナ=フェル。一応みんなのまとめ役かしら。まずアンナ、彼女は子供たち全体の食事係を担当しているわ。それから、ドアの所からのぞいていた二人が ティミーとハル、彼らはヤギの世話と乳の加工の係よ。そして、後からきちんと紹介するけど、ここでは他にも一〇人くらいの子供たちが暮らしてるわ。」
生きる力にあふれた輝き、ショウのなくしてしまったもの。
『変だ・・・熱い。こんなの初めてだ・・・。』
血のたぎりとは異なる温かさ。心地よい高揚感。
「あら?熱が出てきたのかしら、顔が赤いわ。」
「あ、いえ、これは・・・」
言われてますます顔を赤らめるショウ。ラーナが彼の前髪をかき上げ、額と額とを合わせる。
 まつげが触れるほど近くに、彼女の存在があった。鼓動が早くなる。
「よかった、熱はないみたいね。」
『温かい・・・それに、これは母さんと同じにおい。』
「・・・ウ、ショウってば、痛むの?」
ラーナに言われ、初めてショウは自分が泣いていることに気付く。
「いえ、大丈夫です。何でもありません。」
「そう?ならいいんだけど・・・。」
自分のようなものを本気で心配してくれる存在。突然、ショウは彼女に全てを打ち明けたい衝動に駆られた。
 だが、それはできない。
 彼女を巻き込み、子供たちに残された最後の楽園に火種を持ち込むことになりかねない。
「ちょっと昔を思い出してしまって。
 母はすごくきれいで、そして、温かい人でした。以前僕が熱を出したとき、今のあなたと同じようにして熱を計ってくれたんです。それで・・・。」
「そう・・・」
「何か?」
「ショウ、あなた、傷が治ったらどうするつもり?」
「ええ、これ以上ご迷惑はかけられません。
 それに、僕にはやらなければならないことがありますから。」
 沈黙が空間を支配する。


     6
 再び六年前。
 金龍城地下、特別実験場。
 そこには、ショウ以外にも多くの子供たちが捕らわれていた。両親と別れるにはあまりに幼かった彼ら、そんな中いつしか友情が芽生え、ショウにとってもその存在は 大きな慰めとなっていた。
 部屋に備え付けられた本を読んだり、仲間たちとくだらないおしゃべりに興じたり、そんな何気ない日常が続いたある日、突然部屋に白衣を着た男がやってくる。 男はショウの手を取ると、別の部屋へと彼を連れて行く。
 一面白に埋め尽くされ、白衣の男たちが忙しく動き回る部屋。病院を思わせるその部屋は、清潔感と同時に不快感を与えた。
 手術台に横たわり、麻酔によって薄れいく意識の中、ショウは右目から何かが入ってくるのを感じた。

 暗黒から光の世界へ。
『体が、重い・・・』
肩で支えるようにして体を起こす。部屋の暗さもあったが、それ以上に視界が狭い感じがして、遠近感がつかめない。
 時間がたつに連れ、徐々に記憶が戻ってくる。右目には包帯が巻かれていた。
『血が、熱い。怖いよ・・・母さん、助けて・・・』
固く冷たい岩壁に包まれてなお、その床さえもが熱かった。

 数日後。階全体に、今ではもうおなじみとなった集合の合図が鳴り響く。
 あの後、ショウが戻されるのと入れ替わるようにして別の子供が連れて行かれ、同じようなことが何度となく繰り返された。ある者は腕に、又ある者は足に、体の どこかしらに包帯を巻いた姿で帰ってくる彼ら。三日のうちに部屋に暮らす全員がその姿になり、以降毎日のように全員を集めての健康診断が行われた。
 しかし、今日は少し違っていた。いつも下る階段を上り、その先の重い扉が開かれる。久しぶりに吸う外気と、そして目を突き刺す日差し。
「国王陛下がお言葉を賜る!全員、最敬礼!」
ざわめきが起こり、大部分の子供たちは言われたままに頭を下げる。しかし、ショウを初めとする数人だけは、その身を起こしたまま、現れたアックスをにらんでいた。
「貴様ら、頭を下げんか!」
「構わぬ!」
アックスの強い声が、こぶしを振り上げた男を遮る。
「今回のことがたとえ金龍の神託によるものであるとはいえ、私がこの子らを親元から引き離してしまったことには何の変わりもない。恨んでくれて当然だ。
 皆よ、済まぬ。」
アックスはそう言って子どもたちの方に向き直ると、深く頭を下げた。
 場にいる全員がその行動に驚き、その瞬間、アックスは完全に場を支配した。後は、ただ言葉を紡いでいくだけで良かった。
「我はバハムートよりある託宣を受けた。
 『今こそ我が子らの秘めし力を解放し、千年王国を築かん。』、主はそうおっしゃった。
 どうかこの国の、世界の繁栄のため、私に力を貸してほしい。
 さあ、今こそ示せ、汝が力を!歌え、神をたたえる歌を!」
『頭の中に、文字がわき上がってくる・・・何?』
「ほら、ショウ、見てよ。すごいでしょう?」
そう言ったのは、ショウと同室のシャロンという少女だ。彼女の手の中には、「太陽」があった。
 同じような光景があちこちで広がり、その様子を見ていたアックス王は満足そうにうなずいて奥へ消えた。
「バハムート万歳!」
「アックス王万歳!」
どこからともなく歓声が上がり、すぐに会場全体を埋め尽くす。熱狂の渦。
 しかし、ショウはあの男に関わる全てを嫌悪していた。
『ショウ、あきらめないで。最後まで生きて・・・』
別れの晩、そう言って自分を抱き締め、泣いていた母。そして、自分を全てから引き離した憎むべき男。
 皆が踊らされる。友は、兵士になっていた。

 毎日のように行われる、血中龍精濃度の測定とその発現訓練。そんな中、一人参加を拒否し続けるショウは次第に孤立していく。最後には、同室の者までが あからさまに彼をべっ視するようになる。
「貴族の息子だからって、お高く止まりやがって。」
そんな言葉を平然と浴びせる者もいた。
 唯一、シャロンだけは違っていた。最後まで彼をかばい・・・というか、周りととっくみあいのケンカを演じてでも彼の味方であり続けてくれた彼女。もっとも、いったん 戦闘が始まってしまえばショウなど常に蚊帳の外だったが。

 演説から二週間あまりが過ぎたある日。その日も、部屋の中には一触即発の雰囲気が漂っていた。
 だがどうした訳か、その日に限ってシャロンの口から気っぷのいいたんかは聞かれなかった。洗面所にこもったままいつまでもでてこない彼女。不思議に思った一人が 洗面所をのぞくと、そこには床に倒れ込み、ぐったりとしたシャロンの姿があった。
「だれか来て!シャロンが、シャロンが・・・すごい熱で!」
取り乱し、狂ったように扉を打ちつけるショウ。扉といっても鉄板にちょうつがいを付けただけのもの、すぐに拳は内出血をおこし、血がにじむ。それでも、構わずに打ち 続ける。
 やがて、いつもの守衛を伴って白衣の男たちが部屋に入ってくる。おとこたちはシャロンの腕に注射を打つと、そのまま彼女を担架に乗せて運んでいってしまった。
 ひたすらその帰りを待ちわびるショウ。しかし、彼がどれだけ待とうともシャロンが帰ってくることはなかった。
 しかも、翌日には更に二人が倒れ、シャロンのとき同様に連れていかれることになる。一人、又一人といなくなっていく友。何度彼が尋ねても、男たちから返ってくる のは「彼らは別の場所に移された。」というお決まりの回答だけ。
 それでも、彼には待つ以外どうしようもなかった。

 数日後には、当初7人の相部屋だったそこもショウ一人のものとなっていた。
 それまで「訓練への参加、実験への協力に関しては各人の意思を尊重する」という姿勢を貫いてきたアックス王だったが、建前を示す必要もなく、又その相手も いなくなった今、ショウを特別扱いしておく必要はどこにもなかった。彼には別の役目が与えられることになる。受動的協力、つまりは・・・実験動物。
 守護者の一体に連れられ、再び実験室へ。
 包帯が外され、光を失った右目に「血」が注入される。それはたちまち全身を駆け巡り、血管が肉を、内臓を締め上げる。自分の中で、自分の知らないところで 自分が変わっていく、考えたくなかった。

 連日のように続く「授血」。
 通常、ロードやソルジャーに与えられる龍精血は一種類、多くても二種類まで、濃度についても生まれつき力を備えた王族たちと同等である。それ以上は、肉体 という器が負荷に耐えられないのだ。しかし、既にショウには八種類全ての血が、それぞれ倍の濃度で与えられていた。圧倒的な力、しかしそれを振るうことは 確実に死と同義である。

 ある朝、ショウは鏡に映る自分の姿にがく然となる。そこに、自分はいなかった。包帯の合間からのぞく皮膚は硬く枯れ果て、それ以外の部分も・・・辛うじてヒトの それではあったが・・・色を失っていた。髪の毛も白くなり、何より、不気味なくらいに紅いその瞳。
家族と自分の記憶をつないでいた、同じ髪、同じ肌、それすらもアックスは奪い去ってしまった。

 そのとき、風が部屋に流れ込んできた。
「お早う、ショウ君、気分はどうかね?」
入ってきた男の、決して忘れえぬその顔。
「お前は!よくもぬけぬけと・・・
 !?」
『体が、動かない!』
「何か」に押さえ付けられ、床に突っ伏すショウ。それでも、瞳だけは憎しみを宿してアックスに向け続けられる。
「父上、お気を付けください。」
『アシュレイ王子!
 それじゃあ、これが彼の「力」・・・。』

アシュレイ王子。本名シュウ=アシュレイ=バハムート。わずか17歳という若さながら各方面に優れた才能を見せ、父である現国王の片腕として活躍する人物。 特に、龍精術に関する理解の深さは国中のあらゆる術士に勝り、契約により異界より召喚した魔物を従者として従えているとされる。容姿の美しさも手伝い、「史上最も神に愛された人物」として尊敬と畏怖を集めている。

「ショウ君、といったかな。無駄なことはやめるんだ。私がいる限り、父様に指一本触れさせはしない。確かに君の身体能力は授血によって飛躍的に高められている。けれど、所詮それはヒトとしてのものだ。この、異界の力の前には・・・」
「無様だな、母子そろって。」
「母さんを侮辱するな!」
怒りが体を突き動かす。アシュレイの力が緩んだ一瞬のすきをついて、戒めをはねのける。
 跳び上がるようにして立ち上がり、そのままアックスに飛びかかる、が・・・
「!」
守護者(ガーディアン)、全身を黒の法衣にすっぽりと包んだ「それ」は、ただ手をかざすだけでショウの全てを封じていた。アシュレイの力が地面に向けて押しつけるだけのものであったのに対し、ガーディアンの 「それ」は虚空に向けて全方位より縛り付けていた。
 開いた手のひらが握られていくにつれて縛り付ける「力」もその戒めを強めていく。束縛に対抗すべく、自らも血を高めようとしたそのとき、柔らかな風と共にショウにしか聞こえない「声」が届く。
『落ち着きなさい、血に飲み込まれてしまうわよ。
 今は、我慢して。』
『だれ?・・・分かった。』
頭に直接流れ込んできた声、温かく、どこかなつかしい、母のにおい。血が静まる。
「フン、ようやく観念したようだな。
 こやつを特殊房へ押し込んでおけ!アシュレイ、見張りを借りるぞ。」

 どれほどの時が流れたのか、日も差し込まない地の底で、ショウは必死に血に抗っていた。
 水と食事を止められてもう随分になる。それでもなお、彼の体は活動をやめてはいなかった。
「だれか、僕を殺して・・・」
『死にたいなんてバカな考えは捨てなさい、あなたは、生きてるのよ。』
「何?そこにだれかいるの?」
眼前の闇がゆがむ。ゆがみはやがて光となり、光は女性の姿へと形を変え、ショウの前に降り立つ。
「風霊(シルフ)さん?」
「まあ、そんなところ。」
「じゃあ、あのとき僕を助けてくれたのも?」
「ええ。あのままあなたが・・・」
「!」
唐突に輝きが消失する。いぶかしむショウに、直後、差し込んできた光が目を射る。先ほどまでのそれとは全く異なる、人造物の発する冷たい光。
「貴様、一人でさっきから何をぶつぶつ言っている!」
「・・・・・・。」
「実験体008号、主がお前に用がお有りだそうだ。」
「・・じゃ・ない・・・。」
「ん?」
「僕はショウだ!8号なんかじゃ・・・」
言い終わるより早く、男の手にしたムチがさく裂する。
「フン、生意気なガキだ。おとなしくしていればいいものを。」
「・・・・・・。」
ショウの視線は男を通り越してその向こう、入り口に控えた相手に向けられる。男の、自分ですら気付いていない虚勢の根拠となっているのは、ガーディアンの存在。

*守護者(ガーディアン)。アシュレイ皇子が異界より召喚した4体の魔物。ヒトやソルジャーなどとは異なる次元の力を操る絶対の存在とされる。詳細は一切 不明、唯一それを知るはアシュレイ皇子その人のみ。

「まあいい。来い、早く!」
引きずられるようにして廊下を進む。そしてその後に従うガーディアン。前回のように圧迫を受けるほどではないが、確実に行動を阻害する力。龍精の発現も抑え られ、こうなると逆らうだけ無駄だった。

 実験室。
「驚いたな、一ヶ月飲まず食わずで、憔悴の様子すら見えぬとは。これならば、予定よりも維持管理の費用を抑えられるかもしれん。
 実験を開始しろ。」
 白衣を身に着けた男たちがショウを台の上に寝かせ、その手足を固定する。
「そうだな、まずは手のひらから始めるか。」
アックスの言葉に従い、白衣の一人がショウの手のひらに手術刀を走らせる。
『痛くない!?どうして?』
金属の触れる冷たい感触までは確かに感じた、だが、次に来るべき痛みは・・・そして、衝撃を受けるショウに、男の言葉が更に追い打ちをかける。
「ご覧ください。」
「おお、素晴らしい・・・。
 何という治癒の速さだ。この形態ですらこれほど、進化(メタモルフォーゼ)後は・・・」
「はい、理論上は自己修復が可能なはずです。」
『メタ・・・何だって?それに自己修復?一体何を言ってる?・・・僕は、何をされた?』
「しかし、こやつも大したものだな。空気に触れただけで精へ還元されてしまうほどの『血』を持ってなお、ヒトの形を保つとは。強情さも、あやつ譲りということかな。」
もうその言葉に反抗する気力もなかった。張りつめているものを切るのが怖い、誤って踏み込めば二度と戻ってはこれない。そう、シャロンたちのように。

 再び闇へ。術で強化された鎖が、両腕の自由を奪っている。そして息が詰まるほどに張り巡らされた結界。空気だけはどうにか通っているようだが、生命の息吹は みじんも感じられない。
 暗黒、死の空間。
 しかし、この状況下にあってなぜかショウは落ち着いていた。
『暗いのが気持ちいい?・・・ううん、違うか。怖いんだ、そうでないと。』
そう、怖かった。己の姿を見ることで、触れることで、変わり果てた自分を知ってしまうことが。いっそ、何も分からないほどに変わってしまえれば、それは幸せなのかも しれない。


     7
 ショウが連れてこられてから、既に6年の歳月が流れていた。
 外界と完全に隔絶された空間、辺りを埋め尽くす闇。水も食料も絶たれ、ここ何年かは人の姿すら見てはいなかった。しかし、それでも彼は生きていた。
『もうすぐだよ、母さん。もうすぐ、待ちに待ったあの日がやってくる。そしたら、きっと母さんの敵を討ってあげるからね。』
その瞳に宿った、狂気にさえ似た輝き。この6年間、ショウはひたすら母の影を追って、殺すべき男の死に顔だけを思って生きてきた。毎夜現れるシルフから教え られるときの流れ、そこから導き出したその日を待ち望んで。
 ・・・龍歴992年勝利の月8日、すなわち心神期火龍の年火の月火の陰日を。32年ごとに一周する龍歴において、最も火の第二属性「爆」の力が高まると されるとき。復しゅうの日、そして、全てが終わる日。
 この時点で、既にショウの体は食物を取り込むことを必要とはしていなかった。世界を満たす無限の精、それ自体が彼の力だった。そしてそのことは、いまだヒトで あり続けようとする彼自身を、ゆっくりと、しかし着実にむしばんでいっていた。
 残された時間は少ない。

「・・・集え、我にやどりし火の子らよ。
       血の盟約に従い、秘められし力を解放せん。
    紅き流れよ、心のままに全てを打ち破れ・・・
 フレア・ソウル!」
 全ての戒めをはねのけ、天を翔る龍。
 ショウが自らに課した二つの命題、アックス王の殺害ともう一つ。それは、堕ちそうになる自分を救ってくれたシルフ−名を「フェイ」といった−の頼み、捕らわれた 実験体の救出。彼女の話によれば、ここには今でも十数人の子どもたちが、ショウと同じように実験材料として捕らわれているという。
 彼女のくれた「見取り図」は完璧だった。原理は不明だが、同時性を持って頭に映像が流れ込んでくる。
 6年という歳月はヒトを変化させるのに十分なものだった。
 それがどんなものであれ、ショウは目的のためにできる限りのことをし、幸か不幸か彼にはその才があった。加えて、授血によって代謝を高められた肉体は成人の それに変わっていた。
『普通の兵士はともかく、ソルジャーやロードと戦闘すれば消耗は避けられない。何より、いつまでもガーディアンたちの目から逃れられるはずはない、それまでに!』
包囲の網をかいくぐり、執ように向かってくる追っ手を回避しながら最上階を目指す。
 少し大きめに穴を開けたことが陽動にもなったのか、ショウはそれ以上血の助けを借りることもなく見覚えのある場所−かつて自分もそこに運び込まれた−へと たどり着いていた。
 最上階。
 部屋を封じた結界はそれほど強力なものではない、装置を破壊し、かんぬきを外す。この間、見張りとの小規模な戦闘があったが、いずれもショウの放った初弾、 つぶての散弾に全身を貫かれて絶命していた。
 そこには、青白い顔をした大勢の子どもたちの姿があった。
「みんな、助けに来たよ!」
「・・・・・・。」
返事がない。いや、単に返事がないというよりは、ショウの出現に対し全く関心を抱いていない、そういう感じだった。
「どうしたの?お母さんの元に帰りたくないの?」
ショウは近くにいたお下げ髪の少女の肩をつかむと、少々乱暴に揺さぶった−催眠術でもかけられているのかと思って。
   (ズル)
 思わず自分の手のひらを見つめる−ヒトの皮膚。そして、少女の腕から除くヒトにあらざるモノの・・・
「う、うわぁああああ!」
その瞬間、子どもたちの瞳に一斉に宿る殺意の光。
『見つかった!』
 後はもう、無我夢中だった。壁を破り、森へと身を躍らせる。


     8
 一瞬のうちによみがえってきた日々、悪夢以上の記憶。なま暖かいものがのどを上がってくる。
 ラーナはショウを抱き寄せると、震える背中に手をはわせる。
「・・・戻らないと。母さんの、敵を。」
「・・・子どもね。」
「どうして知っているんです?それを・・・僕が、大人でないっていうことを。分かるはずないのに。」
「何のこと?
 私が言っているのは、あなたの考え方が子どもだっていうことよ。」
「母を殺され、その相手を憎むことがおかしいですか?」
「ええ、そうよ。
 あなたが今までどんな人生を送ってきて、その中でお母さんがだれに、どんな殺され方をしたのか、もちろん私は知らない。でも、でもね、ショウ、私も女だから 分かるの。もし私があなたの母親だったなら、息子に復しゅうが全ての人生なんて送ってほしくはない。
 それより、かわいい奥さんの一人も迎えて、幸せな家庭を築いて欲しいと思う。
 何よりも子どもの幸せを願う、母親って、そういうものじゃないかしら。」
「・・・・・・。」
「急には分からないかもしれない。けど、大好きなお母さんよ、どちらを望んでいるか、あなたが一番よく知っているでしょう。」
『そういえばあれ以来、ただあの男を殺すことだけ考えて、母さんが何を思い、僕に何を望んだかなんて考えたことがなかった気がする。
 そうだ、母さんはそんな人じゃなかった。』
 ショウの心を思い出が覆い尽くす、物心ついてからの大半、あの悪夢のような日々さえもが浄化されていく。
「ところでショウ、あなた、このままここで暮らす気はない?」
「よろしいんですか?」
「もちろん、あなたさえ望むなら、ね。」
「申し出は大変有り難いのですが、やはりそれはできません。
 詳しいことはお話しできませんが、僕はある場所から逃げ出してきたんです。そんな僕がここにいれば、きっと皆さんにご迷惑をかけることになってしまう・・・。」
アックスたちにしてみれば、ショウたちソルジャーの存在は最重要機密。行為自体明らかに国際法違反であるし、その軍隊ともなれば、通常は存在目的も「自衛の ため」などと言い逃れできる戦力ではない。その実験体の一人が行方不明となれば、当然追求もあろう。
「大丈夫よ。ここにいる限り、どんな相手であっても干渉はできないわ。何て言ったって、ここは『レリクス』ですもの。」
 クリスタベルとラーナの顔がまぶたにちらつき、そして重なる。
「・・・是非、そうさせてください。ここでなら、僕が失ってしまった何か、それをもう一度取り戻せそうな気がするんです。
 それに・・・僕はあなたのことがもっと知りたい。」
「え?」
「済みません、調子に乗りすぎました。忘れてください。」
自分で言って顔を赤くし、シーツに顔を埋める。
「正直言って驚いたわ、いきなりなんですもの。でも・・・うれしかった。」
ショウは額にラーナの柔らかい唇が触れるのを感じた、そして、何かが自分を満たしていくのを。
「お姉ちゃん!」
 顔を上気させ、つかつかと部屋に踏み行ってくるアンナ。体を割り込ませるようにして二人を引き離す。
「幾らラーナお姉ちゃんでも、私のショウさんに手を出したら承知しないわよ!まったく、油断もすきもないんだから。」
「違うんです、アンナさん、これは僕が・・・」
しかし、恐縮するショウをラーナの手が制する。
「アニー、台所で食事の容易をしていたはずのあなたが、どうして彼の名前を知っているのかしら?」
「そ、それは・・・えーと、ほら、愛があれば不可能はないって・・・」
「アニー。」
「う〜、ごめんなさ〜い・・・。」

 レリクスの子どもたちは強かった。自分たちに未来がないことを知りながら、あるいはだからこそ、今をあるがままに受け入れ、精一杯自分のために生きる。 彼らにとって、自分を捨てた両親を憎むことは人生の浪費であり、運命を呪うことは自慰行為にすぎなかった。
 『小さな、そして愛すべきエゴイストたち』、そんな彼らの姿に学び、ショウは全てを許す。それは過去との決別、新たな歩みの決心だった。

 しかし、その純粋さゆえに彼はまだ知らない。生きることのつらさを、否、生きることが苦しみであることを。
 そして、悪夢は幕を開ける。

第壱部 完


第弐部     


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